8月 17, 2015

Ms Ghette

ミス・ゲッティは2007年に作曲・録音を開始。2008年5月、「マイスペース」に制作した楽曲を載せると、その音楽の多くが「声・歌詞」、さらに楽曲に隠された「メッセージ」によって多くのフィードバックを受ける。ラジオ局へと渡った歌…その活動はダブプレートやジングルへと広がりをみせ、出会った人々とオリジナル楽曲を作曲・録音するようになった。 ジュニア・ワイズ・プロダクションに出会ったのは2011年1月。「マイスペース」で彼らの制作するリズムを聞き、「私の歌を聞いてほしい」と彼らに意見を求めた。 すぐにジュニア・ワイズから「気に入った」とのメッセージが返信され、それから1週間で「マイスペース」に掲載されていたリズムが送られ届くと、Message リズムにインスピレーションを受けた彼女は3週間で’Message Of Love’を完成させる。 ジュニア・ワイズとともに、誰もが楽しめ、「この世界をより良き場所に!」と私たちに送られたポジティブ・メッセージを感じられる歌をここに制作した。6ヶ月の時を経て、世界へ。
8月 17, 2015

Soom T

Soom Tはイギリス、グラスゴー出身のアーティストで、1999年以降The Orb、T.Raumschmiere、King Creosote、Miss Kittin、The Bug、Mungos Hifi、Bus、Asian Dub Foundationなどの著名アーティストたちと50以上のコラボレーションを行い、彼女の多種多様なヴォーカル・スタイルを聞かせてきた。この10年間に発表した数々のリリースと録音によってSoom Tのキャラクターはレゲエ界でユーモアな存在として知られるようになり、その巧みなスキル、真似することの出来ない確立したサウンド、政治的でスピリチュアルな強い観点が彼女の力強い詩を浸透させてきた。インド系スコットランド人である彼女は少ないステージへの出演によってカルト的な支持をファンを徐々に獲得してきた。 2008年には後々、Johan Daniellsonが制作しdisruptがリミックスした7インチ盤Flying High、そして12インチ盤Dirty Moneyとしてリリースされた楽曲を含む数曲をMaffiと録音、Soom Tはこの制作チームのヴァイブスが彼女の革新的なヴォーカルに間違いなくフィットすること発見すると、次のプロジェクトへとキャリアを進める前にデジタル・レゲエでのリリース活動を続けた。多くのショーに出演し、ヨーロッパの熱狂的なオーディエンスに大きな印象を残し、2010年にはスカンジナビア、中国、日本、アメリカ、カナダ、メキシコ・ツアーを行い、2011年にはMungos Hifiとのショーやソロ・ツアーをインド、ブラジル、メキシコ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパなどの世界を舞台に行い、Soom Tにとって飛躍の年となった。 これまでの経験からレーベルRenegade Mastersを設立、リスナーを揺れ動かすことのできる国際的に力強くポジティブな音楽を創造するアーティストの発掘、育成、それらアーティストたちの楽曲をリリースすることに専念している。彼女のソロ・ライブは彼女の膨大なカタログを含むラップトップ、ダブプレート、マイク、小道具などを使用して行われてきた。2011年、待望のデビューアルバムとなる2枚組みLP「Ode To A Carrot 」を‘Soom T and Disrupt’の名義でJahtariからリリース、収録された楽曲の半分がオリジナル・トラック、その残りが往年のレゲエの傑作とされる楽曲のリメイクで、内容は面白おかしく愉快でくだけたものでありながらも芸術的で上質であり、聴く者の耳の核心をベースで揺るがす作品として革新的な作品であった。 現在、オーストラリアのプロデューサー、Monkey Marcとヒップホップ・アルバムを制作中で2012年に自身のレーベルであるRenagade Mastersからの待望のLPリリースを予定している。その他にもMingus HifiやReality Shockなどから新曲が発表される予定。Soom Tのミッションはこれからも続く…
8月 17, 2015

Trial Production

2002年、打ち込みのトラックと6人のホーンを有機的に絡ませた『SABAKU』『RED ROCK』リリース。 DUBシーンのみならずコアなリスナー、ミュージシャン、DJからの熱い支持を得る。 2003年からは10人のバンド編成をメインとして活動しており、そのほとんどのライブ とレコ-ディングのDUB MIXを日本におけるニュールーツ第一人者でありSKA FLAMES のキーボードプレイヤーとしても知られるMIGHTY MASSA氏が担当している。 2004年リリースされた「EXOTICA」では、KINKA、GOMA、SHIRO THE GOODMAN、SANDNORM という注目のリミキサー陣を迎え、話題に。 そして2008年久々の新譜「Promised land EP」をDMRよりアナログ12イン チオンリーでリリース。 近年はマイケルローズ、デニス・ボーヴェルとの共演。UKニュールーツ最重要レーベル 「DUB HEAD」のコンピレーションに2年連続で選出されるなど、日本のみならず注目のDUBバンドである。
8月 17, 2015

Carl Meeks

1962年、西インド諸島ジャマイカはキングストンに生まれる。カール・ミークスは「シングジェイ」スタイルを用いたカルチュラル/レゲエ/ダンスホールのオリジナル・シンガーである。彼の音楽を聴けば、それがカール・ミークスの音楽であるとわかる特有のスタイルを持つ彼は若くして様々なサウンドシステムの街や田舎で行われる巡業に同行してキャリアをスタートさせた。 それらにユースマン・プロモーション、ステレオ・マーズ、ジャー・ラヴ、スレテオ・ガヴなどのサウンドシステムが挙げられるが、彼は当時一番好きだったシンガー、デニス・ブラウンを熱心に見習った。「Taste」と呼ばれるキングストンのタレントショーで2位となったカールにターニング・ポイントが訪れる。このショーは当時ジャマイカでも最大規模のタレントショーで、彼の音楽キャリアをさらに追求するためのインスピレーションとなった。 カールの歌声を聞いた写真家の故ジョージ・レモンはカールのキャリアに投資を開始。ジョージ・レモンが写真を撮って稼いだすべてのお金が、カールの音楽製作のために使用され、フォトグラファー・レーベルの創設ともに一連のシングルが発表された。アルバム「Jackmandora」に収録された数曲、「Haul and Pull up Selector」、「Born and Grow Ya」、「We Rule Dance Hall」、「Raw Born Rub a Dub」などが続いてリリースされ、「Haul and Pull up Selector」はトリニダッドで第1位を獲得、カールの曲5曲がジャマイカチャート・トップ100に入った。 その後、カールはヒュー”レッドマン”ジェイムスに紹介され、「Weh Dem Fa」、「Youthman」、「Johnny」、ダディ・リリーをフィーチャーした「Heard About My Love」を制作、ジャミーズ、ジャック・スコーピオ、スティーリー・アンド・クレヴィ、ガッシー・クラーク、ハリー・ジェイなどなど多くのプロデューサーとともに様々な活動を行った。その後も、世界各国で公演やツアーを行うなど、サウンド、セレクター、ファンとの交流を通してその活動を続けている。